むかしよく詩をよんだ
“ 未来に老いる“というフレーズが好きだった
学生時代必要にかられてフランソワ・ヴィヨンからマラルメまで読んだが
ぼくは その後のとりわけフランシス・ポンジュや イブ・ボヌフォアの 詩には
強く魅せられて ヴァレリーやボードレールにはないなんと言えば良いのか
あこがれのようなものを感じた
象徴派の詩と言えば埴谷雄高の随想集に鋭い指摘があって 西脇順三郎を読み返して
ポンジュやボヌフォアに傾倒した
“ 未来に老いる“というフレーズが好きだった
学生時代必要にかられてフランソワ・ヴィヨンからマラルメまで読んだが
ぼくは その後のとりわけフランシス・ポンジュや イブ・ボヌフォアの 詩には
強く魅せられて ヴァレリーやボードレールにはないなんと言えば良いのか
あこがれのようなものを感じた
象徴派の詩と言えば埴谷雄高の随想集に鋭い指摘があって 西脇順三郎を読み返して
ポンジュやボヌフォアに傾倒した
ポンジュの―物の味方―を捩って イジドール・デュカスのロートレアモン伯
よろしくG・ T ・ディ・ランペドーサ=ポンジュのペンネームで
ピース・ユニックのまゆりの絵に詩をつけた
ランペドーサは公爵だったので ロートレアモンより偉い
よろしくG・ T ・ディ・ランペドーサ=ポンジュのペンネームで
ピース・ユニックのまゆりの絵に詩をつけた
ランペドーサは公爵だったので ロートレアモンより偉い
ついでに ルキノ・ヴィスコンティーの映画は岩波ホールでまゆりと見たが
小説―山猫―は読んでいない
ちなみに ヴィスコンティー家も公爵家でミラノにお城が残っている
―熊座の淡き輝き―のクラウディア・カルディナーレは
ヴィスコンティー作品の中で最も美しいが
その伝統の中に自らを埋めことでしか 新しい時代にその形式を残しえないと
淡々と生きる統一前の老貴族を描いた―山猫―と現代を描いた―家族の肖像―
を比べてほしい
ドミニク・サンダもクラウディアに匹敵するほど美しい 余写らないが
パラダイムが転換する時や死を前にした老いの美しさとは
このようにありたいと思う
小説―山猫―は読んでいない
ちなみに ヴィスコンティー家も公爵家でミラノにお城が残っている
―熊座の淡き輝き―のクラウディア・カルディナーレは
ヴィスコンティー作品の中で最も美しいが
その伝統の中に自らを埋めことでしか 新しい時代にその形式を残しえないと
淡々と生きる統一前の老貴族を描いた―山猫―と現代を描いた―家族の肖像―
を比べてほしい
ドミニク・サンダもクラウディアに匹敵するほど美しい 余写らないが
パラダイムが転換する時や死を前にした老いの美しさとは
このようにありたいと思う
ボヌフォアは院に進んで大学に残った友人と語った
未だ存命で絵画論を時々発表している
―今、ここに―という現前性にことば以上のものを感じてきた
ポンジュの―物の味方―は世界を構築し ボヌフォアの―今、ここに―は
決心と諦めのうちに勇気を呼び起こす
カフカの―世界と君の戦いでは、世界に支援せよ―をようやく理解する と
未だ存命で絵画論を時々発表している
―今、ここに―という現前性にことば以上のものを感じてきた
ポンジュの―物の味方―は世界を構築し ボヌフォアの―今、ここに―は
決心と諦めのうちに勇気を呼び起こす
カフカの―世界と君の戦いでは、世界に支援せよ―をようやく理解する と
ボヌフォアの言う―今、ここに―にまさしくさらに強く ぼくの犬たちとの生活がある
彼らは 今を生きて 未来に老いることもなく 淡々とその生を受け入れる
今を喜び また悲しむ うらやましいと思う
できることなら そのようにそのまま触れることができたらと思う
ヨーロッパの街角で出会うホームレスの犬たちの なんと満ち足りて 物静かなことか
彼らは 今を生きて 未来に老いることもなく 淡々とその生を受け入れる
今を喜び また悲しむ うらやましいと思う
できることなら そのようにそのまま触れることができたらと思う
ヨーロッパの街角で出会うホームレスの犬たちの なんと満ち足りて 物静かなことか